がんばるのは今じゃない

父がまさかの認知症。

さしのべられる手

父の興奮や暴言、暴力などを止める薬を出してもらうために、どの病院に行けばいいのだろう。  

検索をすれば、幾つかの病院や診療所があがってくるが、実績や評判などは、まったくわからない。

 

認知症は、いろいろなことを記憶できなくなり、直近のことを忘れてしまう病気だと思っていた。物盗られ妄想や徘徊があることも知っていたが、こんなに凶暴化して人格が変わるとは知らなかった。どうしたらいいのかわからない。いざというとき、隔離してもらえる入院設備がある病院のほうが、よいのではないか? それは、精神科の領域になるのだろうか? どうやって父を連れていけばいいのだろう? 

 

「もの忘れ外来」も「神経科」も「精神科」も、父がショックを受けるような気がして、ためらわれた。

 

口コミが欲しい。

活きた情報が欲しい。

生の声が聴きたい。

 

少しでも適切に、良心的な治療を受けたい。

切実に思うが、近隣で、認知症の親を介護している知り合いなどいなかった。

 

インターネットで調べると、「認知症疾患医療センター」というものが都道府県・政令指定都市が指定する病院に設置していると書いてあった。

 

認知症における専門医療相談、鑑別診断、身体合併症、周辺症状の急性期対応、かかりつけ医との連携、家族への介護サービス情報の提供と相談への対応、医療情報の提供等の介護サービス等の連携を行う〉

ことができるのだという。

 

大阪府で指定されている病院の一覧を見ると、私や両親が居住する市に、設置されている病院があった。

なかなか予約は取れないだろうから、予約待ちのあいだに考えればいいと思い、とりあえず、電話をかけてみた。

対応してくれた職員は、病院の受付というよりは、ホテルマンのような物腰で、まるでディナーの予約を取るように、必要なことを聴き取ると、予約状況について伝えてくれた。

「物忘れ外来」は予約がつまっており、かなり先になるのだが、「精神科」でも同じ検査を受けることができ、こちらであれば、一か月以内に予約可能であると。

「物忘れ外来」も「精神科」も、病院に大きく名称が掲示されているにちがいなく、父にどう取りつくろえばいいのかわからなかったが、後から考えればよいことなので、仕事の予定がどうなっているかも確認できなかったが、直近の日で予約を取った。

平成29年7月26日(水)午前9時。ずっと先だ。

ほかにもっといい病院があれば、キャンセルすればよいのだ。

 

口コミが欲しい。

活きた情報が欲しい。

生の声が聴きたい。

 

母の知人で、最近、介護の仕事を始めたOさんと話す機会があった。Oさんは、他県に嫁いでいたが、離婚して実家に戻ったところ、母親が認知症を発症し、デイサービスに預けながら、自宅介護をしているとのことだった。

 

もう無理だ! と思うような困難なことが起きても、不思議と、まわりから手がさしのべられ、問題が解決していくことの不思議、人とのご縁が本当にありがたいと感謝していることを話してくれた。

 

父の認知症発症の経緯と、鑑別診断の予約を取ったことを伝えると、病院の名前を聴いたOさんの表情が少し曇った。気になって、理由を訊いたところ、たまたま、仕事で接する機会があったその病院のスタッフの対応に、いい印象がないのだという。でも、そのときだけのことかもしれないし、気にしないでねと言われた。

 

気にしないでねと言われても、やはり気になる。

 

大きな病院だから、職員の数も多い。患者の数も多い。受けとる角度によって、一長一短があるのは、当然のことだ

ましてや、認知症の鑑別診断や、治療において批判的なことを言われたのではなく、まったく関わりのない病棟の印象だったかもしれないのに、Oさんの言葉は、棘のようにずっと残っていた。

 

(情報をもっと集めよう)

 

介護・福祉関係の職業……と考え、思いだしたのは、高校三年の長男が小学六年生のとき、PTAの本部役員を一緒にしたメンバーの一人、Uさんだ。Uさんは、副会長だった。

 

PTAの本部役員というのは、学校や地域の任務が多く、毎月開催される委員会の準備をし、行事前には夜遅くまで作業を共にするので、特殊な連帯感があり、任期が終わってからも暑気払いや忘年会などと称して、みんなで集まって懇親会を重ねていた。

 

Uさんは、母が骨髄の病気を発病するまで参加していた手話サークルに所属していて、母とも仲がよかった。明るく、面倒見がよく、心の美しさがにじみ出ているような人で、信頼できる人だと感じていた。個人的なことを話したことはなかったが、ちょうど少し前に、Uさんからアドレスが変わったことを知らせるメールが届いていたことに勇気をもらい、藁をもつかむ思いで、連絡してみた。

 

すると、「自分は身体に障碍がある人の介護をする仕事なので、認知症のことは詳しくないが、知り合いにきいてあげる」と返信があり、その日のうちに、近くの診療所が併設するデイサービスの相談員 Kさんを紹介してくれた。

その診療所は、「認知症の治療が受けられる病院」で検索した中にも入っている、自宅からも両親の家からも、一番近い場所だった。

 

「Kさんは、いつでも電話してもらっていいとのことです」と書かれていたが、すぐには連絡できず、しばらく、そのままにしていた。

 

電話をかけることになったのは、脳外科で処方してもらった「デパス錠」が効かず、父は夜に寝ないばかりか、ついに、外来の診察に出かけようとする母を行かせなかったという報告を受けたからだ。

 

なぜか父には「母が不倫をしている」という、はっきりとした妄想があり、母が出かけるのは別の男性に会うためだという思いにとらわれると、歯止めが効かなくなるらしい。

その日、母が通院のための準備をしていると、いきなりスイッチが入って怒り狂い、どうにも手がつけられなくなり、母は病院に行くのをやめたというのだ。

父はスイッチが切れると、平常に戻るらしいが、母の治療ができない状態は困る。母が夜、眠れないことも問題だ。死活問題だ。

 

介護申請はしたが、市役所から連絡があるのは、しばらく先。

鑑別診断の予約もまだ先だ。

脳外科で処方してもらった薬を飲んでも、父の異常な行動はおさまらない。

おさまらないばかりか、ひどくなっている。

 

(どうしたらいいのだろう?)

 

そこで、Uさんが紹介してくれた診療所に電話をかけ、相談員のKさんにつないでもらったところ、すぐに面談の運びとなった。

平成29年7月7日(金)だった。

地域包括センターを訪れてから一週間後のことだ。

 

〈みみ〉