がんばるのは今じゃない

父がまさかの認知症。

駆け込み寺

Uさんから紹介されたKさんを頼って、診療所に電話をかけた時、私は、診療所とデイサービスの事務所が別だということも、Kさんがどういう立場の人なのかもわかっていなかった。

ただ、父の困った行動を止める薬をもらいたいという一心だった。

 

診療所の受付で怪訝な顔をされ、別棟に案内されて、あたりを見回し、ピンク色の作業服を着て忙しそうに動き回る人たちの姿から、そこがデイケアセンターであることがわかった。

 

相談員のKさん。ケアマネージャーのMさん。看護師のIさんが、私の前に座り、それぞれから質問されるままに、父と母のことを話した。

ちょうど一週間前に、地域包括センターで介護認定申請書を記入し、その週のはじめに市役所に提出されているはずだということも。

 

とにかく、〈母の心身の休養のために、父と分離することが先決!〉ということになり、さっそく、「デイサービスのお試し利用」を受けることを薦められた。

診療所が併設されているので、お試し利用の時に、職員が様子を観察し、診療所で検査を受け、薬も処方できるとのこと。

 

(父をごまかして、病院に連れていかなくてもいい!)

(願ったりかなったり!)

 

介護サービスは、要介護度により料金が定められているため、区分が決定しないと、利用できない。ただし、申請日にさかのぼり適用されるので、7月3日(月)に提出しているならば、前倒しで利用することは可能だという。

ケアマネージャーのMさんから、「要介護1は出るはずだから、その範囲でデイサービスを利用してはどうか」と提案された。週2回から3回は利用できるということだった。

 

預かってもらえるなら、自費でも頼みたいくらいだ。父の意見も、母の意見も聞いていないが、父がデイサービスに行ってくれるなら、そのあいだ、母は安心して休息ができる。送迎してくれるから安心だ。食事の用意もしなくていい。

週2回から3回、ひとりになれる時間があれば、今よりずっと楽になる。

お試し利用は、週明けの7月10日(火)に決まった。

 

 (こんなに早く事が進むなんて)

 

本来は、介護認定の申請をし、訪問調査があり、介護度が決定すると、その区分に応じて、ケアマネージャーがつき、介護サービス利用計画を立てることになるのだが、思いもかけず、先行してデイサービスを利用できることになり、母を救出できた。

 まるで、駆け込み寺だと思った。

 

***

 

PTAの本部役員になり、引き継ぎを受けた時、なんという理不尽で時代錯誤な考えのもとになりたっている役割なのだろうと感じたことを覚えている。

 

時間と能力、社会性と社交性がありながら、主婦の活動の場が家庭しかなかったという時代には、同世代の保護者と交流ができ、学校や地域と連携を図りつつ、さまざまな創意工夫をこらして、子どもたちのために活動できるPTA役員は、やりがいがあり、誇らしく、達成感もあって、楽しかったことだろうと思う。

私の母も、いまだに私が小学生だったときに、いっしょに役員をしたという人と交流がある。専業主婦の母にとって、よほどその活動が楽しかったのだろうと思う。

 

ところが、今は多くの母親が働きはじめるようになった。インターネットも普及した。じっと家庭にこもって、時間と能力をもてあまし、鬱屈を抱えている人などいなくなった。学校や教職員に対する尊敬と信頼の気持ちも薄まっている。

仕事を休んで、学校の会議室に集まり、時給ももらえないのに、会報を作ったり、掃除をしたり、校区の見回りをしたり、行事の準備をしたりすることに、やりがいや歓びを感じる人は少なく、貧乏くじを引かされたという気持ちでいっぱいなのだ。

 

お金で役員から逃れられるなら、払ってもいいと考える人も、少なくないと思う。集めたお金で、時給を払うことにすれば、逆に立候補する人も出るのではないか? それでいいではないかと、思ったこともある。

 

でも、実際に役員をやってみると、さまざまな保護者がいることに気づかされた。てきぱきとかっこいい、リーダーシップのある人、女神さまみたいな人、かわいい人、おもしろい人、人徳のある人、ひたむきな人、自分が恥ずかしくなるほど、正義感あふれる、素晴らしい人とも出逢った。もちろんその逆も。

保護者同志の不倫など、びっくりするような情報もあり、目がテンになった。地域の地主さんたちの派閥の話も耳に入る。先生たちの噂話も耳に入る。PTA活動は、特殊なヒエラルキーが層を成していた。

 

やるからには、清濁併せ呑むつもりで本気で愉しまなければ、もったいない世界だったが、どうして私が、そのような特殊な本部役員をやることになり、メンバーと出逢うことになったのか、ずっと不思議だった。

五年以上も経った今になって、父の認知症のことで力になってもらえるご縁があるなんて、思いもしなかった。

 

始まるときは、どこにどうつながっていくのか、推し量ることができないのが、結ばれたご縁というもの。

大切にしなければ、と思う。

 

〈みみ〉