がんばるのは今じゃない

父がまさかの認知症。

薬が効かない

 

認知症の進行を遅らせることができると言われている薬」を脳外科で処方してもらい、一息ついたような気がしていたが、実際はそうではなかったらしい。

「らしい」というのは、私は両親とは離れて暮らしていたので、認知症の発症に伴う父の変化を言語化できるのは母だけなのだが、母には、薬を飲むようになってからの父の変化を、客観的に伝える力がなかったのだ。

 

「お父さんどう?」

「まあまあやな」

「まあまあって?」

「いいときもあるし、悪いときもあるし」

「二週間、半分の量で様子を見て、何もなかったら通常の量に増やすって言ってたから、先生に様子を伝えなあかんねんけど。ひどくはなってないの?」

「うん。そうかな」

「じゃあ、薬の量、増やしてもいいの?」

「うん。そうやな」

 

このような感じだったので、なんとなく父の異常行動はおさまっているのかと思っていたのだが、そうではなかった。

母は父の専制君主的な言動に慣れていたので、常軌を逸しているのかいないのかの判断がマヒしていたのだ。

 

私はそのことに気づかなかったので、母の「まあまあ」を肯定的に判断した。

二週間後、ドネペジルは倍量の10㎎になった。

 

修羅場だった。

 

翌日から毎日、母から電話が入り、父の昼夜逆転・もの取られ妄想・不倫妄想・暴言・暴力に、自分はどう奮闘したかを延々と聞かされた。

私が実家に行っても、そのときには父は普通なので、対処ができない。

嵐が過ぎたあとの父は、全てを忘れ、穏やかになり、母をねぎらい、たたえ、母がいないとダメだといい、甘えるそうだ。

ところが、夜中に起き出した父は豹変し、探し物を母に命じ、見つかるまで眠らせないらしい。

なんということだろう。

このままでは、母の心身の健康が危ぶまれる。母が参ってしまう。なんらかの措置をとらなくては。

 

(そもそも、これは認知症なのだろうか?)

(精神病ではないのか?)

向精神薬などを処方してもらったほうがいいのではないのか?)

 

そこで、私ひとりで脳外科に行き、症状をこんこんと伝え、興奮を鎮めるような薬か、夜中に眠れる薬を出してほしいと申し出た。

すると、その脳外科では、脳外科的な疾患が原因で認知症状が出ている人の治療のために、認知症の薬を出しているが、それ以外の認知症は扱っておらず、認知症薬と向精神薬とのバランスを考えながら処方していくという治療はできないので、紹介状を書くから専門的な病院で診断を受けてほしいと言われた。

 

(えーーーーーーーーっ)

 

専門的な病院って、どこですか? と尋ねると、こちらには情報がないので、どこでも書きます、言ってくださいと言われ、教えてほしいのは私のほうだと思いつつ、それよりも何よりも、今晩、父が寝てくれなかったら母の身体がもたないのです! と懇願し、本人がいないと薬は出せないと言われたのを、半ば泣き落としに近い状況で、出してもらったのが「デパス錠」という薬。

これで夜は寝てもらえる! と思ったのだが、

 

(まったく効かなかった)

 

魔法の薬であるかのように重々しく、母に渡したのだが、翌朝、「ぜんぜん、効かない」と恨み節のような声で母から電話がかかってきた。

 

(どうすればいいの?)

 

父と母を離さなければ! 

デイサービスを受けるためにはどうすればいいの?

介護認定を受けるためにはどうすればいいの?

 

ここから、市役所に電話をして、地域包括センターを訪問し、介護申請をし、面談を受け、デイサービスを受けられるようになるまで、夢中だった。あっというまだった。

本当に切羽つまったら、四の五の言わず、なんでもできるのだと思った。

 

〈みみ〉